こんばんは。
(2/2)
23.0 / 34.7 ℃ 晴/曇
スレスレで猛暑日を回避。
まぁ、
四捨五入したらアウトだけれど。
◇
僕が死んでも、
人混み、
それに形式ばったものがとても苦手なので、
間違いなくお盆には還って来ないと思う。
出来れば、
キュウリの馬にも茄子の牛にも乗りたくない。
でも、
霊魂の縮尺はそんな具合なんだろうか?
キュウリや茄子に乗れるくらいのさ?
さておき、
お盆もそうだけど、
儀式って、
どれだけ血が通っているんだろう?
もし、
物凄く血が通っているなら、
決められた時節や形式を取る必要もない筈。
「人は2度死ぬ」と言われている。
まず肉体の死。
それから存在自体が忘れられること。
きっと、
お盆に還って来られる霊魂は、
まだ存在が覚えられている霊魂限定。
血縁上であれ精神的にであれ、
大事な繋がりのあった死者は、
切り離されて形式的に「もてなされる」より、
「共にある感覚」を持ち続けて貰える方が、
よっぽど嬉しいんじゃないだろうか?
勿論、「重たくならない」範囲で。
本日頂いたゴーヤを眺め、
「これに爪楊枝の足挿せば、
(亡くなった)オカン還ってくるやろか?」と考えてみる。
でも、きっと来ないやろな。
オカンも人混み嫌いやったし、
僕と違ってゴーヤあんまり好きじゃなかったし。
さておき、
みんな「あの世」ってどこにあると思って、
つまり霊魂が何処から還ってくると思って、
儀式としてのお盆のを執り行っているんだろう?
そこがずっと気になっている。
僕は、
「あの世」の門は、
僕の中にあるんだと思っている。
勿論、
あなたの中にも、ね。
SIMON
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