こんばんは。
(3/3)
9.2 /14.9 ℃ 雨/曇
「もし?」
って呼び止められた事ってありますか?
私は、そう呼び止められた事も、
誰かをそう呼び止めた事もありません。
でも、
一度くらいそうやって呼び止められたいと、
密かに熱望しています。
勿論、
理由なんてありませんが。
◇
このひと月程、
「平成最後」
という枕詞が連呼されて来ましたが、
それもあと数時間。
「さようなら平成」
「こんにちは令和」
まるで、
電車のヘッドマークが替わるみたい。
しかし、
「時代」(時間の塊)に名前を付けて、
それを慈しむというのは、
それはそれで悪く無い気もします。
あなたの平成があり、
私の平成があるから、
今がある。
(何でしょうか?
何でしょうね)
西暦だけで良いという考えも一部にはありますが、
それはそれで宗教的な暦。
(えーと、)
◇
物事の在り方が、
加速度を増して変わっています。
良くも悪くも、
この流れは変わらないでしょう。
そう遠く無い未来、
ハイ、アレクサ。
今日はどんな服を着て行けば良い?
で済む時代が来るかも知れません。
でも、
そんな時代が来たらどうします?
(どうしましょうか?)
友よ、答えは風の中に
でも、それ、
理解できる言語でない可能性の方が高いですね。
今の所。
◇
そう遠く無い未来に消える仕事、
残る仕事。
そういう番組や記事を目にする機会は増える一方。
幸か不幸か、
蚊帳の外で好き勝手しているので、
それが私に当て嵌まるのかは、
今ひとつ分からないのですが、
「それでも」
気になることが一つ。
人と人との向き合い方は、
デヴァイスの進化と共に、
今後も変容して行くでしょう。
さて、
「さてさて」、
人と物との向き合い方はどうなるのでしょうか?
私が想像する未来の服は、
(課金制のアプリを搭載した)
全身タイツみたいな物を着て、
ハイ、アレクサ(で無くても可)、
50年代のニュールックで
と言ってダウンロードすれば、
髪型まで再現してくれる様になるのではないか?
と云う物です。
勿論、
『グレート・ギャツビー』のレッドフォード
とか、
『ローマの休日』のヘップバーン
も、
髪型と服装だけなら可能。
きっとその内、
外から見た体型も修正可能になるのでは無いでしょうか?
(相手が服を脱いだらびっくり!)
それはずっと先の事かも知れませんが、
「無くは無い」未来の様に思えます。
もしそうなれば、
「身体性」も、
今とは随分違う位置付けになるんでしょうね。
◇
出来れば、
「物と向き合う」ことの大事さを伝えたい。
そう思い続けていますが、
それは何も宗教的な意味合いではありません。
持っている物を知り、
それを大事にする事、
くらいの意図です。
そういう概念が、
遠い未来にも残って欲しい。
そう願っています。
元号が変わっても、
何かが変わる訳でもありません。
変わらぬスタイルでやって行こうと思います。
でも、
未来がもっと「楽しく」在れば良いなとは思います。
まぁ、
他力本願では何も起こりはしませんが、ね。
平成の最後はこの曲で、
令和がどんな風になるのか、
想像すら出来ませんが、
(耳が早い方は既にこのbandをご存知かも知れませんね)
個人的に、
これくらい楽しげなのが良いなと思います
(大きな音で、踊りながらお楽しみ下さい)。
◇
親しい人が、
「元号が変わる時、私地球上に居ないから」
と言っていましたが、
探しに行くのはやめておこうと思います。
「地球に帰ってきたら、連絡してね」
◇
さて、
まだまだGWは続きます。
みなさんが良い時間を過ごされている事を願いながら、
明日も通常通り営業しております。
それでは、それでは。
SIMON
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